Blue Blood 胡蝶の夢

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一話


 アストにとってライナは、初めてと言っていい同じ年頃の友達だ。
 ライナ・ベルジェ、十八歳。上級魔族の男爵家に生まれた、アストとは比べ物に為らないほど身分の高い家柄だ。
 アストの家は、下級魔族だった。その家も、今はもうない。
 魔族と一口に言っても、種類は様々。その魔力は上級魔族ほど強く、また上級魔族の中でも基本的には爵位が上の貴族ほど強い。
 階層身分が消えないのは、そのせいでもある。魔族は下級、中級、上級に分けられ、さらに上級魔族は貴族位によって細かく分かれている。
 それが魔族の国のおおよその社会構造だ。では、他はどうか。
 今、世界は二分されているといわれている。
 それは極めて微妙な関係だ。
 一方は魔王リディアール・ダリの治める魔族の領域。そしてもう一方は人間の領域。
 両者の交流は皆無であり、相互不干渉で成り立っているため、お互いについてはほとんど知られることはない。
 ただ一つだけ確かなのは、人間は魔族を怖れ、嫌うこと。魔族もまた人間を、良くは思わないこと。
 魔族、特に貴族の男子は総じて好戦的である。その最たる先代の魔王が、人間の世界に手を出さなかったのは、“出せなかった”からだ。
 ただ単に国が荒れて国力が低下したからという訳ではない。その程度のことは歯牙にもかけない男であったから、たとえ国を潰すことになろうとも、殺戮を求めたであろう。
 この数代、魔王はまさに人間の御伽噺に登場する狂王であり、同属の魔族すら虐げた。
 なぜ、それほどに残酷な王が人間に手を出さなかったのか。
 それは、彼らには決して越えられない壁のせいであった。
 たとえ話ではない。本当に、二つの国の間には壁がある。一体いつ、誰が作ったとも知れない壁。目にはぼんやりとしか映らない、半透明の力の壁。
 魔族の国でそれは、“悪意の壁”と呼ばれている。
 壁を通ろうとする者の本質を選定し、選ばれし善意の者だけが、双方の世界を行き来できるという。
 これこそ、双方の関係を決定付ける古代の産物だ。
 そして、アストの住むこの森は、壁に近い位置にある。
 何しろ、人間に悪感情を持つだけで消滅してしまうと噂のあるその壁に、好んで近寄るものなど滅多にいない。
 開墾されない土地には森ができ、今や魔族の国サイル国で最も安全な場所だった。
 そんな訳で、今日も暢気にアストとライナは庭で花や野菜を育てていたりする。
「ライナ、今日は出かけると言っていなかった?」
「あぁ、そうでしたわ。ちょっと必要な物を……アスト様、何かございません?」
「ないわ。ストラールに貰ったしね。……あぁ、そういえば髪を切りたいわ」
「なりませんっ……アスト様、そのような事をすれば、どんなにリディアール様が悲しまれるか」
「だけど、そろそろ鬱陶しくて……」
「でも……私も、アスト様の髪は気に入っておりますのよ?」
 ライナは真剣な顔で言った。
「────分かった。今度にするわ」
「良かった」
 アストは騙された気分でライナの晴れやかな笑顔を眺めた。
 彼女自身、この青銀髪は嫌いではない。だが、目立ちすぎるのだ。
 むしろライナのようにごくふつうの茶髪のほうが良かった。アストは良くそう思う。
 髪だけではない。アストは、自惚れでなく自分が美しいことを知っていた。それが、たまらなくいとわしい。
「それでは、行って参りますね、アスト様」
「えぇ、気をつけてね」
 彼女は騎獣に乗って森へ消える。
 目を伏せる。独りになると、アストはいつも思う。
 このまま、誰も私のもとを訪れには来ないのではないか……自分一人の知らないところで、また、誰かが死ぬのではないか。
 “あの時”のように……。
 アストは思考を中断し、ゆっくりとまぶたを開けた。
 のどかな森の端にいるのは、武器を持った男。別に驚くことはない。二年前までは良く聞いていた剣の音と、警戒に慣れすぎて身についた鋭い感覚は、彼の存在を目で確かめる前から知らせていた。
「こりゃあ、驚いたな……」
 赤髪に紫の眼をした長身の男は、剣を抜くこともなくただ立っていた。
「こんなところで美人にお目にかかれるとは思わなかったぜ」
 にやっとして、少しアストへ近づいた。その顔も不快ではない。
「ところで悪いんだけどさ、何か食い物ない? 腹減って死にそう」
 アストは突然の訪問者の注文にあきれつつ、庭先の果実を投げ渡した。
 礼もそこそこに食べると、男はまた笑う。
「オレの名はイシルラ・キデロ。あんたは?」
「アスト。イシルラ、あなたこんなところで何をしているの?」
「声も綺麗だな、アスト。それはそうと、こんなところはお互い様だ。“封印の森”に住んでるなんて……あ、“こっち”じゃそうでもないのか?」
「“封印の森”……? イシルラ、あなたどこから来たの?」
 魔族はこの森を“黒の森”と呼ぶ。
「人間の国、って言えば分かる? 魔族に会いたくてさ。そしたら、壁を抜けられちゃったから、ちょっと見物」
「人間は……みんな、そうなの?」
「そうって……魔族に会いたがってるかって? まさか」
「いえ、聞き方を間違えたわ。壁を抜けられるのかってこと」
「さぁ……オレだって、絶対通れないって噂の壁をあっさり抜けてきて、びっくりしてるんだぜ?」
 人間……まるで魔族と変わらない。
 違いを探してよく見れば、耳が丸いというくらいだ。
「ところでアスト、オレの彼女にならない?」
「断るわ」
「そう言うと思った。じゃあ、さらっていい?」
 さらうのに許可が必要なんだろうか。
 ばかばかしいと思っていたら、イシルラが不適に笑った。
『お休み、アスト』
「な…に……?」
 アストはその声によって眠りに落ちた。

 すっと意識が戻ったとき、アストはイシルラに抱えられて森の中にいた。
「目、覚めた?」
 少しだけすまなそうな問いに、怒る気も失せる。
「────下ろして」
「ねぇ、せっかくだし町を案内してくれない?」
「…………」
「悪かったって!」
「謝るくらいなら、はじめからしないで」
 毒気を抜かれてしまった。
「そういえば、さっきのは何?」
「さっきのって?」
「私を眠らせた」
「あれ? 魔族にはないんだ……言霊だよ。言ったことを現実に出来る」
「……人間は、そんなことができるの」
「いや、あんまり出来る奴はいないと思う。オレめずらしいの。魔族はみんな魔力ってのを持ってるんだろ?」
「大なり小なり持ってはいるわね。でも、素質がなければないのと同じことよ。そうそう使っていいものでもないわ」
「そうなんだ」
「ある程度大きな魔術は制限されるわ。許可がないと使えない」
「へぇ……面白いな、法律があるってことか」
「当たり前」
 楽しげに笑う顔は、その褐色の肌によく似合う。
「一つ言っておくけれど、この森は広いわ。町には、かなり歩かなければ着かない」
「それは安心していいぜ。町の近くまで移動するように“言った”から」
「────そんなこともできるの?」
「こんな森みたいなところならね。別の場所といきなりつながったりするのって、自然に考えてあり得ないじゃん」
 なるほど、自然に考えて、か。
 アストは男の横顔を見上げた。
 イシルラの言葉は嘘には聞こえなかった。考察するに、彼の使う力は自然界の力。不自然さのない力なのだろう。
 魔族とは違う。
 魔力は、もっと禍々しいものだ。
 紛れもない、破壊を目的とする魔の力。
 これが、もしかすると魔族が魔族たる所以なのかもしれない。
「あ、あれが町か?」
 前方は少し開けていて小さな町が見える。
「イシルラ、行くのは構わないけれど……私は目立ちすぎる。特にこの髪が」
 今しがた気づいた風に、彼はそうかと呟いた。
『染まれ』
 アストは視界に入った茶髪を、指でつかんで確かめた。それは自分の髪に違いない。
「これで大丈夫だろ」
「えぇ……」
 そう、ちょうどこんな風な色がよかった。平凡で、赤に近い瞳の色にも合う。
「イシルラ」
「何?」
「どこへ、行きたい?」

 アストにとっても二年振りの町だった。
 とてもあのころでは見られなかったような活気がある。人々はしたたかで、こんな小さな町ですら、これほどに復興している。
 リディアールを少しは褒めてもいいか、と思う。
 微笑して、アストは町へ足を踏み入れた。
「あんまり変わんないな、やっぱり。オレの住んでたところに似てる」
「そう?」
「うん。ただ、少し……人間の国は貧しい。こんな中心から外れたような土地だとさ」
「豊かじゃないわ……ここも、サイル国も貧しかった。ほんの二年前までは、まるで地獄そのものだったわ」
 私は何も出来なかった。
「今もそれなりに貧しいはずだけれど……行ってみる?」
「どこへ?」
「────ついて来て」

 そこはさびれた通りよりももっと奥にあって、何もない場所だった。
 静まり返った場所に建つ、宗教的な建物。
 アストは一瞬ためらった。
 そして、壊れた扉を押す。
「二年前、狂王の支配していたころ、ここは潰されたのだと思う」
 理由などない。あるとすれば、「気に入らない」という一言。
 それだけで、宗教的なもの全てが否定された。
 今も乱雑なまま転がったいくつかの机と、その傍らのさび付いたナイフ。
 どす黒い床は、全て血の色。所々にある白骨は、おそらくくだけた骨の埋葬漏れだろう。死体はリディアールが王になった後、全て埋葬されたのだから。
「魔族らしい光景でしょう?」
 アストは目を伏せた。
 これ以上、見ていられなかった。
「────悲しい場所だね……」
 イシルラはそんなアストを見つめていた。
 目を閉じたらなおさらに、悪夢のように浮かぶ。
 その血のにおいが、かすかにする気がする。
 まるで、“あの日”のよう。


「リディ!」
 珍しく狼狽して、壊れるくらいに乱暴に開けたドアから、黒髪碧眼の副官はリディアールに詰め寄った。
「どうしたフィリオ」
 ただ事ではない彼の様子に手を止める。
「大変なんだ……アストが……」
「アスト────だと?」
「そう、ライナが緊急用の連絡をさっきくれて……。落ち着いて聞いてくれ、リディ」
「分かった」
「────アストが、消えたんだ」
「────……消えた、だと?」


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